新世界の食材と海賊女王――ジャガイモ、探検、そして富の略奪
フランシス・ドレイク――女王公認の海賊
エリザベス1世の食卓を語る上で、フランシス・ドレイクという男の存在を避けて通ることはできない。彼は女王公認の海賊であり、私掠船船長であり、そして「ジャガイモ男」として歴史に名を刻んだ人物である。
ドレイクは1577年から1580年にかけて世界周航を達成し、その過程でスペインの船を次々と襲撃した。最も有名な略奪は、スペインのサン・フェリペ号の拿捕である。このとき、ドレイクは600万ポンドという途方もない財宝を強奪したともいわれ(諸説あり)、その半分をエリザベスに献上したと推測されている。当時のイングランド王室の年収規模を揺さぶるほどの利益が流入した。
エリザベスはドレイクを「私の海賊(my pirate)」と呼び、彼の略奪行為を公然と支持した。ドレイクは単なる海賊ではなく、国家の富を増やす戦略的資産であり、エリザベスの外交政策の重要な一翼を担っていたのである。そして、このドレイクこそが、ジャガイモをイングランドに持ち帰った人物として語り継がれることになる。
ジャガイモという「誤解された」導入者
「エリザベスがジャガイモを広めた」という俗説は広く知られているが、実際にはジャガイモをイングランドに持ち込んだのはフランシス・ドレイクという説がある。1586年、ドレイクはアメリカ大陸からジャガイモを持ち帰ったとされる。同時に、彼はギニアピッグ(モルモット)も持ち帰っている。
しかし、ここで重要なのは、ドレイクの船「ペリカン号」にジャガイモが積まれていたという確実な証拠はまだ見つかっていないという事実である。ジャガイモの導入については、ウォルター・ローリーやトーマス・ハリオットなど、複数の人物の名前が挙がっており、歴史的な議論が続いている。それでも、ドレイクは「ジャガイモ男(The Potato Man)」として広く知られ、祝福されてきた。
エリザベスは、ジャガイモを「広めた」わけではなく、「新世界の珍しい食材として楽しんだ側」である。当時、ジャガイモは観賞用として扱われることが多く、食用として本格的に普及するのは17世紀以降のことである。しかし、「新世界の食材を味わう女王」という象徴性は非常に強く、エリザベスの時代がいかに探検と発見の時代であったかを物語っている。
ジャガイモを王族が民間に普及したエピソードについては、いずれ、「マリー・アントワネット」や「ルイ16世」で触れることになるだろう。
新世界からの贈り物――タバコとその他の珍品
ジャガイモだけではない。エリザベスの時代には、新世界から数多くの珍しい食材や植物がイングランドにもたらされた。その中でも特に有名なのがタバコである。
ウォルター・ローリーは、タバコをイングランドに持ち込んだ人物として知られている。エリザベスはタバコを嗜んだという記録はないが、宮廷ではタバコが新奇な娯楽として広まった。タバコは当初、「薬草」として扱われ、健康に良いと信じられていた。
また、トマト、トウモロコシ、カカオなども新世界からもたらされたが、これらが本格的に食文化に組み込まれるのは後の時代である。エリザベスの時代は、「新しい食材を発見し、試す時代」であり、彼女自身がその最前線にいたのである。
ドレイクとエリザベスの関係――海賊と女王の共生
ドレイクとエリザベスの関係は、単なる君主と臣下の関係を超えていた。ドレイクは、エリザベスの外交政策を実行する「非公式な軍事力」であり、スペインとの戦争を公然と宣言することなく、スペインの富を略奪する手段であった。
エリザベスは、ドレイクの略奪行為を公式には否定しながらも、裏では全面的に支持した。ドレイクが持ち帰った財宝は、イングランドの国庫を潤し、エリザベスの宮廷の豪華さを支えた。そして、ドレイクが持ち帰ったジャガイモやギニアピッグなどの珍品は、エリザベスの宴会で話題の種となり、彼女の「新世界への支配」を象徴する存在となった。
1596年、エリザベスはドレイクをもう一度遠征に派遣したが、この遠征中にドレイクは病死した。エリザベスは、彼の死を深く悼んだと言われている。ドレイクは、エリザベスの治世を支えた「海賊王」であり、彼が持ち帰った富と珍品は、エリザベスの食卓を彩る重要な要素であった。
ジャガイモの未来――17世紀以降の普及
エリザベスの時代には観賞用であったジャガイモは、17世紀以降、ヨーロッパ全土で食用として普及していく。特に、アイルランドではジャガイモが主食となり、人口増加を支える重要な作物となった。しかし、19世紀のジャガイモ飢饉は、ジャガイモへの過度な依存がもたらした悲劇でもあった。
エリザベスがジャガイモを「珍しい食材」として楽しんだ時代から、ジャガイモが「世界を変えた作物」となるまでには、長い時間がかかった。しかし、エリザベスの時代こそが、新世界の食材がヨーロッパに到達し、食文化の革命が始まった瞬間であったことは間違いない。
新世界の食材と権力の象徴
エリザベスにとって、ジャガイモやタバコなどの新世界の食材は、単なる珍品ではなく、権力の象徴であった。これらの食材は、イングランドが新世界に到達し、その富を手に入れたことを示す証であり、エリザベスの宴会で提供されることで、「私は世界を支配している」というメッセージを発信した。
母アン・ブーリンがフランス宮廷の洗練された食文化を持ち帰ったように、エリザベスは新世界の食材を宮廷に持ち込んだ。しかし、アンがフランスの文化的優位性を示したのに対し、エリザベスはイングランドの探検と征服の力を示したのである。
ジャガイモは、エリザベスの時代には「観賞用の珍品」であったが、後の時代には「世界を養う作物」となった。エリザベスの食卓は、未来の食文化の種を蒔いた場所でもあったのである。
<第三章に続く>
次回予告:外交のための、演劇儀式としての食卓、巡回する宴。食卓を縦横無尽に操るヴァージン・クイーンのエリザベス1世。お楽しみに!
参考文献・参考サイト
エリザベス1世 青木道彦 講談社
History.com: “Why Royal Guests Have Always Been a Royal Pain” – https://www.history.com/articles/elizabeth-i-royal-progress-expense
2.Discover Magazine: “100 Years of Menus Reveal How Food Has Quietly Shaped Political Alliances” – https://www.discovermagazine.com/100-years-of-menus-reveal-how-food-has-quietly-shaped-political-alliances-48264
3.CORDIS: “Politics on a plate: recipe for diplomatic success” – https://cordis.europa.eu/article/id/462128-politics-on-a-plate-recipe-for-diplomatic-success
4.The Past: “The theatre of feasting” – https://the-past.com/feature/the-theatre-of-feasting/
5.Facebook: “The ‘Foodie’ Queen . Elizabeth I paid close attention to food” – https://www.facebook.com/thetudorintruders/posts/1323521486084268/
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