砂糖と権力の女王――エリザベス1世の食卓から見る黄金時代

歴史上の偉人たちのグルメと人生

第1章:砂糖中毒の女王――甘味と権力の象徴

エリザベス1世はどんな食生活をしていたのだろう。
処刑された母(アン・ブーリン)を持つ王女として生まれたエリザベスは、人生の早い段階から“見せ方”を学ばざるを得なかった。食卓もまた、その舞台装置のひとつだった。

今回もかれん七式がお送りします。

プロローグ:黒い歯の女王

16世紀末、イングランド宮廷を訪れた外国人がイングランド宮廷を訪れた際、彼はエリザベス1世の謁見において、ある衝撃的な光景を目撃した。「女王の歯が黒かった。おそらくイギリスでは砂糖がよく使われているせいだろう」。この記録は、当時のヨーロッパにおいて、イングランドがいかに砂糖消費の最前線にいたかを物語る貴重な証言である。

エリザベス1世(在位1558-1603)は、母アン・ブーリンから受け継いだ洗練された食文化の感覚を持ちながらも、母とは異なる独自の食の嗜好を発展させた。その最たるものが、砂糖への異常なまでの執着であった。50代までに、彼女の歯の大半は腐り、抜け落ちるか黒く変色していた。しかし、これは単なる不摂生の結果ではない。当時の文脈において、砂糖は金と同等の価値を持つ超高級品であり、その消費は権力と富の象徴そのものだったのである。

砂糖という名の黄金

16世紀のイングランドにおいて、砂糖は「甘い塩(sweet salt)」と呼ばれ、真珠や高価な香辛料と同等の価値を持つ贅沢品であった。砂糖はインドやアラブ世界では長い歴史を持っていたが、ヨーロッパに到達したのは11世紀末の十字軍以降である。そして、1500年代に植民地での生産が拡大すると、イングランドのエリート層の間で爆発的な人気を博した。

エリザベス1世は、この新しい「甘い黄金」を政治的に利用する術を心得ていた。彼女は権力のイメージを徹底的に管理する女王として知られており、砂糖はその理想的な道具であった。砂糖を惜しみなく消費することは、「私は富と権力を持っている」という明確なメッセージを内外に発信することに他ならなかった。

当時のイングランドの国家財政が200万ポンドであった時代に、エリザベスが寵愛した海賊フランシス・ドレイクは、スペインのサン・フェリペ号を拿捕して600万ポンドを強奪し、その半分を女王に献上したと推測されている。このような莫大な富の流入が、砂糖をはじめとする贅沢品の消費を可能にしたのである。

砂糖菓子という外交の武器

エリザベス1世が愛したのは、単なる砂糖そのものではなく、砂糖細工という芸術であった。彼女の宴会では、マジパン(アーモンドペーストと砂糖を混ぜた菓子)や、精巧な砂糖細工が「食べられる彫刻」として提供された。これらは単なる菓子ではなく、外交の武器であり、権力の演出装置であった。

チューダー朝とスチュアート朝の宴会において、砂糖細工のない宴は考えられなかった。テーブルに並ぶすべてのもの――皿さえも――が砂糖で作られることもあった。これは、母アン・ブーリンがフランス宮廷から持ち帰った「バンケティング・スタッフ(砂糖菓子の小宴)」の文化を、エリザベスがさらに壮大なスケールで発展させたものである。

アン・ブーリンが「砂糖文化の萌芽」を宮廷にもたらしたとすれば、エリザベスはそれを国家的な象徴にまで高めた。砂糖菓子は、外国の使節を驚嘆させ、イングランドの富と文化的洗練を誇示する手段となった。エリザベスは、シラバブ(甘いワインまたはサイダーにミルクと砂糖を混ぜて泡立てたもの)やアーモンドペーストを特に好んだとされる。

黒い歯という「富の証明」

エリザベスの砂糖への執着は、彼女の歯に壊滅的な影響を与えた。しかし、さらに驚くべきことに、彼女は「砂糖ペースト」で歯を磨いていた。蜂蜜と砂糖のペーストを布で歯と歯茎に擦り込むという習慣は、現代から見れば信じられない行為である。しかし、当時は砂糖が健康に良いと信じられており、ホワイトニング効果があると考えられていたのである。

その結果、エリザベスの歯は50代までに大半が腐り、抜け落ち、残った歯は黒く変色した。しかし、イングランドのエリート層は、女王の黒い歯を見て、それを模倣し始めたのだと後世では語られる。彼らは煤を使って自分の歯を黒く染め、「私も砂糖を食べられるほど裕福である」というメッセージを発信したのだという。黒い歯が、富の象徴として流行したという風説が後世ではまことしやかにささやかれるようになった。

一方、砂糖にアクセスできない農民たちは、新鮮な野菜中心の食事を続けた。皮肉なことに、この「貧しい食事」こそが歯の健康を保つ理想的な食生活であり、農民の歯は白く健康なままであった。エリザベス1世の黒い歯の物語は、後世のイングランドの歯科医たちが砂糖の危険性を説く際の「警告の物語」として語り継がれることになる。

晩年の苦悩――歯痛と女王の気品

エリザベスの晩年は、歯痛との戦いでもあった。彼女はホワイトニングのために歯を削ることを繰り返し、ついには歯髄が剥き出しになるまでに至った。虫歯を抜く決心がつかない女王を説得するため、ある牧師は自分の歯を抜いて見せたという逸話が残っている。

歯が抜け落ちたことで、エリザベスは話すことが困難になり、外国大使が彼女の言葉を理解するのに苦労したという記録もある。しかし、彼女は決して公の場でその苦痛を見せることはなかった。エリザベスは自身のイメージを徹底的に管理する女王であり、肖像画においては常に若々しく、歯の問題など微塵も感じさせない姿で描かれた。

1600年頃に描かれた有名な「レインボー・ポートレート」では、エリザベスはほぼ70歳であったにもかかわらず、若々しく永遠の女王として描かれている。黒い歯など、どこにも見当たらない。サー・ロバート・セシルは次のように書いている。「女王陛下は、優れた画家が完成し、他のすべての画家がそれを模写できるようになるまで、すべての人々に肖像画の制作を停止するよう命じられた。女王陛下は、それまでの間、醜い肖像画の展示を禁じられた」。

エリザベスは、砂糖という甘美な権力の象徴を愛し、その代償として歯を失い、晩年は激しい痛みに耐えながらも、女王としての気品を守り抜いた。彼女の黒い歯は、権力と贅沢の裏側にある人間的な脆さを象徴している。しかし同時に、それは彼女が権力を演出するためにどれほどの犠牲を払ったかを物語る証でもあるのだ。

<第二章に続く>

次回はエリザベスが「私の海賊」と呼んだ海賊騎士フランシス・ドレイクと彼のももたらした新食材について。お楽しみに!

参考文献・参考サイト

エリザベス1世 青木道彦 講談社

Pliny the Elder, The Natural History of Pliny Volume 2

2.Pearl Paradise, “Cleopatra, Mark Antony and Pliny’s Pearls for Dinner”

3.BBC Travel, “A superfood fit for a pharaoh”

4.Journal of Ethnopharmacology, “Molokhia and gut inflammation prevention”

5.Wikipedia, “Hamam mahshi”

6.Rimping, “Cleopatra’s Favorite Foods: Egyptian Queen’s Luxury”

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