華麗から残酷へ。茨への道を歩んだ王妃、アン・ブーリン
食卓から紐解くその栄光と悲劇
はじめに
悲劇の王妃アン・ブーリンの食事とはいかなるものであったのだろうか。
イングランド史上、最も劇的な人生を送った王妃の一人、アン・ブーリン。彼女の名は、ヘンリー8世の心を射止め、イングランド国教会設立のきっかけを作り、そして悲劇的な最期を遂げたことで知られている。多くの書籍や映画が彼女の波乱に満ちた生涯を描いてきたが、本記事では少し視点を変え、彼女の「食生活」に焦点を当ててその人生を辿る。食卓に並んだ料理、彼女が好んだ食べ物、そして当時の食文化は、アン・ブーリンという一人の女性の野心、喜び、そして苦悩をどのように映し出していたのだろうか。
かれん七式がお送りします。
チューダー朝の食卓
アン・ブーリンが生きた16世紀のチューダー朝イングランドでは、食事は単なる栄養摂取の手段ではなく、社会的地位を示す重要な指標であった。特に宮廷の食卓は、その富と権力を誇示する舞台であり、豪華絢爛を極めていた。
宴会は通常3つのコースで構成され、身分によって供される品数が厳格に定められていた。1517年に制定された奢侈禁止法によれば、枢機卿は9品、公爵や伯爵は7品、そして下級貴族は6品といった具合である
身分による料理の品数
| 身分 | 許された品数 |
| 枢機卿 | 9品 |
| 公爵、侯爵、司教、伯爵 | 7品 |
| 下位貴族 | 6品 |
| 紳士階級(年収£40–100) | 3品 |
食卓の中心は、ありとあらゆる種類の肉料理であった。牛肉、羊肉、豚肉はもちろんのこと、孔雀、白鳥、鹿肉といった高級な狩猟肉の食材が並び、その調理法もロースト、煮込み、パイと多岐にわたった。一方で、野菜は「貴族の食べ物ではない」と見なされがちで、果物は季節のものが楽しまれる程度であった。
香辛料(シナモン、グローブ、ナツメグ、ジンジャー等)も多用され、砂糖は高価で、菓子や香り付けに用いるのは富の可視化、いわば誇示でもあった。
しかし、その華やかな食生活には厳格な宗教的規律が伴った。金曜日、土曜日、そして四旬節の期間中は断食が義務付けられ、肉類はもちろん、卵や乳製品さえも口にすることが禁じられたのである。この期間、食卓は魚介類が中心となり、アザラシやネズミイルカといった現代では考えられないような食材も食されていたと記録されている。
失われた未来――ヘンリー・パーシーとの恋
アン・ブーリンの人生を語るとき、その運命を大きく変えた「最初の恋」を避けて通ることはできない。それは、後にイングランドを揺るがす王妃となる前――まだ一人の若い女性として、未来を夢見ることが許されていた頃の物語である。
1522年。フランス宮廷で洗練された教育を受け、音楽・ダンス・会話術・ファッション――すべてにおいて当時のイングランド女性とは一線を画す存在となったアンは、キャサリン・オブ・アラゴン王妃の侍女として宮廷に戻ってきた。
そこで彼女は、ノーサンバランド伯爵家の嫡子、ヘンリー・パーシーと出会う。パーシーは若く、誠実で、そしてアンの知性と魅力にすぐに心を奪われた。アンもまた、彼の真面目さと優しさに惹かれ、二人は宮廷の喧騒の中で静かに恋に落ちていく。
当時の記録によれば、パーシーはアンとの結婚を真剣に考えていたと言われている。アンの父トマス・ブーリンは外交官として成功し、母方はノーフォーク公家の血を引く名門。身分的にも釣り合いは取れており、二人の結婚は決して不可能ではなかった。
しかし――この恋は、あまりにも大きな力の前に踏みにじられることになる。
1523年頃、二人が密かに婚約したという噂が宮廷に広まると、国王ヘンリー8世の耳にも届いた。この時すでに、王はアンに強い関心を抱いていたのである。王は枢機卿トマス・ウルジーに命じ、二人の婚約を即座に破棄させた。
ジョージ・キャヴェンディッシュの記録によれば、ウルジーはパーシーを激しく叱責し、「身分をわきまえぬ愚行」と罵倒したという。
「宮廷のこの愚かな娘、つまりアン・ブーリンと婚約するなど、お前の愚かさには呆れ果てる。お前の立場を考えたことがあるのか?お前の高貴な父が亡くなった後、お前は国内で最も偉大な伯爵領の一つを継承する立場にある。それなのに、父の同意も、国王陛下の祝福も求めずに、勝手に婚約するとは何事だ。」
ジョージ・キャヴェンディッシュの記録より

パーシーは涙ながらに抗議したが、父ノーサンバランド伯爵も呼び出され、最終的には王の意志に逆らうことはできなかった。
アンは、自分の意思とは無関係に引き裂かれたこの恋を、深く胸に刻んだと言われている。この出来事は、彼女の人生の軌道を大きく変えた。
もしあの時、アンがパーシーと結婚していたなら――彼女は地方貴族の夫人として穏やかな人生を歩んでいたかもしれない。宗教改革も、王妃としての栄光も、そして断頭台の悲劇も、すべて起こらなかった可能性がある。
しかし歴史は、アンに別の道を歩ませた。パーシーとの恋が引き裂かれたことで、アンは宮廷に留まり、やがてヘンリー8世の激しい求愛を受けることになる。この「最初の恋の喪失」こそが、アンを王妃への道へと押し出した――そう考える歴史家も少なくない。
興味深いことに、アンが処刑される直前、パーシーは「アンとの婚約はなかった」と手紙で否定している。これは王への忠誠を示すための「政治的な否定」だったのか、それとも本当に婚約はなかったのか――真相は今も歴史の闇の中である。
ただひとつ確かなのは、アンの人生において、パーシーとの恋は「失われた未来」として静かに、しかし深く刻まれていたということである。
アン・ブーリンが持ち帰った「フランスの食文化」
アン・ブーリンを語る上で欠かせないのが、彼女がフランス宮廷で過ごした7年間の経験である。この期間は、彼女の人格形成だけでなく、食文化への理解においても決定的な影響を与えた。アンは単なる侍女ではなく、フランス宮廷の洗練された食文化をイングランドに持ち帰った改革者だったのである。
フランス宮廷で身につけた食の教養
1514年から1521年頃まで、アンはネーデルランドでマルグリット(オーストリア)に触れ、その後、フランスでクロード王妃に仕えて宮廷文化を学んだ。この時期のフランス宮廷は、ルネサンス文化の影響を強く受け、食文化においてもヨーロッパ随一の洗練を誇っていた。
アンはそこで、当時のイングランド女性としては極めて珍しい以下のような食の教養を身につけた。
フランス料理の技法と美学
フランス宮廷では、料理は単なる食事ではなく、芸術の一形態として扱われていた。ソースの繊細な使い方、香辛料の洗練された調合、そして料理の視覚的な美しさへのこだわり――これらはすべて、後にアンがイングランド宮廷に持ち込むことになる要素であった。
宮廷マナーと食卓での会話術
フランス宮廷の食事は、社交の場でもあった。アンは食事中の優雅な振る舞い、適切なフォークとナイフの使い方、そして何よりも、食卓を彩る知的で機知に富んだ会話術を習得したとも言われる。これが、後にヘンリー8世が彼女に惹かれた大きな理由の一つとなると見る向きも少なくない。
ワインの嗜みと選び方――ボルドーからブルゴーニュへ
当時のイングランドでは、ガスコーニュ地方の「クラーレ(Claret:薄赤色のワイン)」が主流であった。しかし、フランス宮廷を知るアンは、より芳醇なブルゴーニュワイン(ボーヌ産など)を好んだとされる。
ヘンリー8世を始め、イングランド宮廷の者の多くが、野性的に肉を喰らい、エールを煽る傍らで、アンは繊細な銀杯に注がれたルビー色のワインを、香りとともに嗜んでいた。その優雅な所作こそが、王に「この女は他の女とは違う」と思わせた文化的な武器であった可能性がある。
ワインは単なる飲み物ではなく、教養と洗練の象徴であり、アンはその選び方、飲み方、そして料理との組み合わせについて深い理解を持っていた。イングランドではビールやエールが主流であったが、アンはワインの繊細な味わいを理解し、楽しむことができる数少ない女性の一人であった。
果物と野菜の新しい扱い方
当時のイングランドでは、野菜は「貧しい者の食べ物」と見なされがちであったが、フランス宮廷では季節の野菜や果物が料理の重要な要素として扱われていた。アンはこの感覚をイングランドに持ち帰り、宮廷の食卓に変化をもたらすことになる。
砂糖菓子(バンケティング・スタッフ)の魔力
アンは、フランス式の「結び目菓子(ノット)」や、バラの香りをつけた砂糖菓子を好んだ。当時、砂糖は薬としても扱われる超高級品であり、その消費は富と権力の象徴であった。
アンは、食後に別の部屋で楽しむ「バンケット(お菓子とワインの小宴)」の習慣を洗練させた。これは単なるデザートの時間ではなく、最も親密な客人だけを招いた社交の場であり、政治的な会話や文化的な議論が交わされる重要な空間であった。
この砂糖への愛好は、後にアンの娘エリザベス1世へと遺伝していく。エリザベスは生涯にわたって砂糖菓子を愛し、その結果として歯が黒ずんでいたという記録が残っている。母から娘へと受け継がれた、甘美なる文化的遺産である。
「フォーク」という異端の道具
アンは、当時のイングランドではまだ一般的ではなかった「フォーク」をフランスから持ち込み、使用していた可能性がある。
16世紀のイングランドでは、食事は主に手とナイフで行われていた。指で肉を掴み、ナイフで切り分け、口に運ぶ――これが当たり前の作法であった。しかし、フランスやイタリアでは、すでに二股の銀のフォークが貴族の間で使われ始めていた。
銀の二股フォークで果物を刺して口に運ぶアンの姿は、宮廷人には「気取った悪女」に見え、王には「至高の貴婦人」に見えた、という逸話もある。この小さな道具一つが、彼女の「異質さ」と「洗練」の両方を象徴していたのである。
ナイフは各自が食卓に持参、フォークは一般的ではなく、外国風の贅沢、と見做されることもあった時代である。アンが積極的にフォークを使っていたとしたら、大陸文化を体現する記号であると同時に、周囲の人に理解されない困難もつきまとっていただろう。
フォークの使用は、単なる食事の作法ではなく、ヨーロッパ大陸の最先端文化を体現する行為であった。アンは、この小さな革新を通じて、イングランド宮廷に新しい文化の風を吹き込もうとしていたのかもしれない。
このフランスでの経験は、アンを単なる美しい女性ではなく、知性と教養を兼ね備えた、ヨーロッパの最先端文化を体現する存在へと変えた。ヘンリー8世が彼女に魅了されたのは、その外見だけでなく、このような洗練された文化的背景があったからこそなのである。

王妃アンによる宮廷の食卓改革
1533年、アン・ブーリンが王妃となったとき、イングランド宮廷の食卓には静かな革命が起こった。それまでキャサリン・オブ・アラゴンのもとでスペイン風の重厚な食文化が支配していた宮廷に、アンはフランス式の洗練と軽やかさを持ち込んだのである。
フランス風の軽い料理の導入
アンが最初に手をつけたのは、料理そのものの性質の変革であった。スペイン風の料理は、オリーブオイルを多用し、ニンニクやパプリカといった強い香辛料で味付けされた、重厚で力強いものであった。
これに対し、アンが導入したフランス風の料理は、バターとクリームをベースとし、より繊細で軽やかな味わいを特徴としていた。ソースは料理を覆い隠すのではなく、素材の味を引き立てるために使われた。この変化は、宮廷の料理人たちに新しい技術の習得を求めるものであったが、同時に食卓に新鮮な風を吹き込んだ。
アン個人が好んだフランス風の料理が一部に流行しただけで、改革とはいえないとの声もあり、また「供される場(祝祭や断食)「季節」「供給事情」にもおおいに振り回されたが、アンがイングランド宮廷でこの新たな食文化に先鞭をつけた可能性は否定しきれないのではないだろうか。
香辛料の使い方の洗練
チューダー朝の食卓では、富の象徴として香辛料が惜しみなく使われていた。しかし、その使い方はしばしば「量」を重視したもので、繊細さに欠けていた。
アンは、フランス宮廷で学んだ香辛料の使い方を宮廷に持ち込んだ。それは、量ではなく質とバランスを重視するアプローチであった。シナモン、ナツメグ、クローブ、ジンジャーといった香辛料は、料理を圧倒するのではなく、微妙なアクセントとして使われるようになった。この変化は、イングランド宮廷の食文化を、より洗練された方向へと導いた。
果物と野菜の地位向上
アンが王妃となる前、イングランド宮廷では野菜は「貧しい者の食べ物」として軽視されがちであった。肉料理が食卓の中心であり、野菜は付け合わせ程度の扱いであった。
しかし、アンはフランス宮廷で学んだ感覚を持ち込み、季節の野菜や果物を食卓の重要な要素として位置づけた。春のアスパラガス、夏のベリー類、秋の洋梨やリンゴ――これらは単なる添え物ではなく、それ自体が楽しまれるべき食材として扱われるようになった。
特に果物については、デザートとしてだけでなく、肉料理との組み合わせにも使われるようになった。これはフランス料理の特徴の一つであり、アンが持ち込んだ革新の一つであった。
食卓のマナーのフランス式への転換
アンの影響は、料理そのものだけでなく、食事の作法にも及んだ。それまでのイングランド宮廷では、食事は比較的カジュアルなものであったが、アンはフランス式の厳格で優雅なマナーを導入した。
食器の配置、ナプキンの使い方、料理を取る順序、そして食事中の会話の仕方――これらすべてが、フランス宮廷の様式に近づいていった。食事は単なる栄養摂取の場ではなく、社交と文化の洗練を示す舞台となったのである。
この変化は、キャサリン妃のスペイン風の食文化からの明確な転換を意味していた。それは単なる好みの違いではなく、イングランド宮廷がヨーロッパの文化的中心により近づこうとする意志の表れでもあったのである。
魚料理の改革者としてのアン・ブーリン
アン・ブーリンのもう一つの重要な貢献は、宮廷における魚料理の質的向上であった。これは一見地味な変化に思えるかもしれないが、当時の宗教的・社会的文脈を考えると、極めて重要な意味を持っていた。
断食規定と魚料理の重要性
カトリック教会の規定により、金曜日、土曜日、時には水曜日、そして四旬節の期間中は肉食が禁じられていた。これは年間のおよそ3分の1にも及ぶ期間であり、この間、宮廷の食卓は魚介類が中心となった。
しかし、当時のイングランドでは、魚料理は肉料理に比べて「格下」と見なされがちであった。断食期間の食事は、義務として仕方なく食べるものという認識が強かったのである。
アンによる魚料理の質的向上
アンが王妃となった頃、宮廷の魚料理の質が顕著に向上したという記録が残っている。彼女はフランス宮廷で学んだ魚料理の調理法を持ち込み、それまでの単調な調理から、より洗練された料理へと変革を促した。アンが直接主導したという証拠はないが、彼女によって魚料理が洗練された可能性はおおいにある。
宮廷の食卓には、以下のような多様な魚介類が頻繁に登場するようになった。
タラ(Cod)
北海で獲れる白身魚で、塩漬けにして保存されることが多く、様々なソースで調理された。アンの時代には、バターとハーブを使ったフランス風のソースで供されることが増えた。
ニシン(Herring)
庶民から貴族まで広く食べられていた魚であったが、アンの宮廷では、マスタードソースやワインビネガーを使った洗練された調理法が導入された。
サーモン(Salmon)
高級魚として珍重されたサーモンは、ローストやパイにされ、レモンやオレンジといった柑橘類と組み合わせて供された。
ウナギ(Eel)
テムズ川で獲れるウナギは、パイやシチューにされ、特に断食期間中の贅沢な料理として楽しまれた。
カレイ(Plaice)
平たい白身魚で、バターで焼いてハーブを添えるシンプルながら洗練された調理法が好まれた。
川魚のパイ(Freshwater Fish Pies)
マス、パイク、パーチといった川魚を使ったパイは、アンの時代に特に人気があった。これらは、フランス風のペストリーと繊細なソースで仕上げられた。

食文化の変化を示す象徴
アンによる魚料理の改革は、単なる調理法の変化以上の意味を持っていた。それは、宗教的義務としての食事を、楽しみと洗練の対象へと変える試みだったのである。
断食期間の食事が「我慢すべきもの」から「楽しむべきもの」へと変わることで、宮廷の食文化全体がより豊かで多様なものとなった。この変化は、アンがイングランド宮廷にもたらした文化的影響の一つの表れであり、彼女の教養と革新性を示すものでもあった。
アン・ブーリンの食の好み
では、このような食環境の中で、アン・ブーリン個人はどのようなものを好んで食べていたのだろうか。残念ながら、彼女の好物を明確に示す記録はほとんど残っていない。しかし、断片的な記述から、彼女の食にまつわるいくつかの興味深いエピソードを垣間見ることができる。
その一つが鹿肉である。鹿肉は当時、市場で購入することはできず、王や貴族が自らの領地で狩りをして手に入れる特別な食材であった。ヘンリー8世は7年にもわたる求愛の期間中、アンの気を引くために鹿肉を贈り物として頻繁に送っている。アンにとって、鹿肉は単なる高級食材ではなく、王からの情熱的な求愛の象徴であったのかもしれない。
もう一つ有名なのがリンゴにまつわる逸話である。1533年、後のエリザベス1世を身ごもっていたアンは、宮廷の人々の前で「リンゴが激しく食べたい」という渇望を口にしたと伝えられている。これは、彼女が王の後継者を妊娠していることを公に示す、計算された発言であったとも言われている。この逸話は、食の好みが個人の状態や意図を伝える手段となり得たことを示唆している。
結婚への茨の道
ヘンリー・パーシーとの恋が引き裂かれた後、アン・ブーリンの人生は新たな局面を迎える。彼女の知性と魅力に魅了されたヘンリー8世は、本格的にアンを王妃として迎えようと決意したのである。
しかし、当時ヘンリー8世には、スペイン王女であったキャサリン・オブ・アラゴンという正妃がいた。王は男子の後継者を切望していたが、キャサリンとの間には娘のメアリーしか生まれず、王の焦りは募る一方であった。アンに魅了された王は、キャサリンとの結婚を無効にし、アンを新たな王妃として迎えようと決意する。
ここから、イングランドの歴史を揺るがす長い闘いが始まる。ローマ教皇に結婚の無効を拒否されたヘンリー8世は、最終的にローマ・カトリック教会からの離脱を決断。自らを首長とする「イングランド国教会」を設立するという荒療治に打って出る。この宗教改革により、アンはついに王妃の座を手にすることになる。1533年1月、二人は秘密裏に結婚し、同年6月1日、アンは盛大な戴冠式を経て正式にイングランド王妃となったのである。
「悪女」の汚名と真実の姿
アン・ブーリンは、後世において「悪女」として語られることが多かった。しかし、その評判の多くは、彼女が置かれた困難な状況と、当時の社会が女性に求めた役割を考慮せずに形成されたものである。
悪女と噂された行動
キャサリン妃への冷淡な態度
アンは、前王妃キャサリン・オブ・アラゴンの死を知った際、「今こそ私は真の王妃だ!」と叫び、黄色い服を着たと伝えられている。これは、キャサリンへの侮辱と受け取られた。しかし、黄色はスペインでは喪の色であり、アンは敬意を表していた可能性もある。
継娘メアリーへの厳しい態度
アンは、ヘンリー8世の長女メアリーに対して厳しい態度を取り、時には「良い平手打ちをくらわせてやれ」といった言葉を発したと記録されている。しかし、メアリーは母キャサリンを追い落とした女性として、アンに激しい敵意を抱いており、アンの立場は極めて困難なものであった。
感情的な気性
宮廷の記録によれば、アンは時に激しい感情の起伏を見せ、「狂乱状態」とも表現される振る舞いをしたとされている。しかし、これは男子の後継者を産むという巨大なプレッシャーと、王の愛情が冷めていく恐怖の中で生きていた女性の、当然の反応であったとも言える。
率直すぎる発言
アンは、宮廷の権力者トマス・クロムウェルに対して公然と反対意見を述べ、「彼女は私の首を切り落としたいと思っている」とクロムウェル自身が語ったほどであった。しかし、これは彼女が宗教改革の方向性について真剣に考え、自分の意見を持っていたことの証でもある。
アン・ブーリンの擁護
現代の歴史家の多くは、アン・ブーリンに対する「悪女」という評価は不当であると考えている。
知性と教養の持ち主
アンは、フランス語と英語を流暢に話し、ラテン語も理解していた。禁書であったウィリアム・ティンダルの著作を読み、宗教改革について深く考え、王にその本を勧めるほどの知的好奇心を持っていた。
慈善活動への熱心さ
アンは王妃として、貧しい人々への施しや、聖職者の支援に熱心に取り組んだ。彼女は自分の影響力を、社会的弱者のために使おうとしていたのである。
時代を先取りした女性
アンは、自分の意見を持ち、それを表明することを恐れなかった。これは、16世紀の女性としては極めて異例のことであり、彼女が「時代を先取りした女性」であったことを示している。もし彼女が数世紀後に生まれていたなら、その勇気と率直さは美徳として称賛されたであろう。
不可能な状況に置かれた犠牲者
アンは、男子の後継者を産むという、彼女の力だけではどうにもならない使命を背負わされた。そして、その使命を果たせなかったとき、彼女は容赦なく排除されたのである。彼女の「悪女」としての評判の多くは、彼女を排除しようとする勢力によって作り上げられたものであった。
王妃の座、そして断頭台へ
王妃となったアンであったが、彼女の栄光は長くは続かなかった。国民の多くは、尊敬されていたキャサリン妃を追い落としたアンに反感を抱いていた。そして何よりも、彼女に課せられた最大の使命は、男子の後継者を産むことであった。
1533年9月、アンは娘を出産する。これが後の偉大な女王、エリザベス1世である。しかし、ヘンリー8世が望んでいたのは息子であった。王の失望は隠しようもなく、アンへのプレッシャーは増大していく。その後、アンは少なくとも三度の流産を経験し、その中には待望の男児も含まれていた。
息子の誕生に失敗し続けたアンに対し、ヘンリー8世の愛情は急速に冷めていった。王の心はすでに、アンの侍女であったジェーン・シーモアに移っていたのである。そして1536年、アンの運命は急転直下する。
彼女は、実の弟を含む5人の男性との姦通、近親相姦、そして国王暗殺の陰謀という、にわかには信じがたい罪状で告発された。これらの罪状は、アンを排除するために仕組まれた冤罪であったというのが、現代の歴史家のほぼ一致した見解である。
フランス式の剣による斬首
逮捕からわずか17日後の1536年5月19日、アン・ブーリンはロンドン塔のタワー・グリーンで斬首刑に処せられることになった。
興味深いことに、ヘンリー8世はアンの処刑のために、イングランドで通常使われる斧ではなく、英領カレーから剣の名手を呼び寄せるという特別な配慮をした。フランス式の剣による斬首は、斧による斬首よりも迅速で苦痛が少ないとされていた。これは、かつて愛した女性への最後の慈悲であったのか、それとも速やかに事を済ませたいという王の意志であったのか――その真意は定かではない。
しかし、アンがフランス宮廷で過ごした日々を思えば、この「フランス式」という選択には、何か象徴的な意味があったのかもしれない。彼女が愛し、洗練を学んだフランスの文化が、彼女の人生の最後の瞬間にも寄り添っていたのである。
処刑台で彼女が最後に残した言葉は、自らの無実を訴えるものではなく、王への忠誠と慈悲を乞うものであった。
「私は法に従い、法によって死刑を宣告されたため、ここに死ぬために来た。したがって、それに反対することは何も言わない…神が王を救い、彼が長く統治されることを祈る。これほど優しく、慈悲深い君主はいない。そして私にとって、彼は常に良き、優しき、至高の主であった。」
これは、残される娘エリザベスの身を案じての発言であったと言われている。
処刑の直前、アンは執行人に対して、自分の髪を束ねたコワフ(頭飾り)が剣の邪魔にならないか尋ねたと記録されている。死を目前にしても、彼女は効率と配慮を忘れない、計画性のある女性であり続けたのである。

最後の思い
彼女は人生の最後に何を考えたであろう。ヘンリー・パーシーと恋に落ちていた頃の無邪気なあの頃に思いを馳せていたであろうか? それとも残していかなければならない娘エリザベスの未来に祈りを捧げたであろうか?
娘のエリザベスはやがてエリザベス1世となり、英国が大英帝国となる礎を築く主君となった。彼女の短い人生が、娘の長い治世へと受け継がれたことを思うと、歴史の神は彼女に小さな救いを与えたのかもしれない。
レシピの前に次回予告! 次回は「クレオパトラ」のグルメと人生に迫ります。お楽しみに!
アン・ブーリンが楽しんだであろうチューダー朝のレシピ
ここでは、アン・ブーリンが宮廷で楽しんだであろうチューダー朝の料理を、現代の単位で再現できるレシピとしてご紹介します。
- アン・ブーリンのチューダー朝アップルパイ(アン没後の1545年のレシピだが、アンが食べていたものと酷似していると考えられる)
1533年、妊娠中のアンがリンゴへの渇望を口にしたという逸話にちなんだレシピです。1545年に出版された『A Proper Newe Booke of Cokerye』に記載された「緑のリンゴのパイ」を基にしています。
材料(6人分)
パイ生地:
•
バター: 85g(角切り)
•
水: 100ml
•
サフラン: ひとつまみ(オプション)
•
ローズウォーターシロップ: 数滴
•
薄力粉: 225g(必要に応じて追加)
•
塩: ひとつまみ
•
卵: 2個(分けて使用)
フィリング:
•
ブラムリーリンゴ(または紅玉など酸味のあるリンゴ): 中〜大サイズ2個(皮をむき、芯を取り、角切り)
•
シナモンパウダー: 小さじ1/2
•
ジンジャーパウダー: 小さじ1/2
•
ブラウンシュガー: 大さじ1
•
バター: 大さじ1
作り方
1.
パイ生地を作ります。小鍋にバター、水、サフラン(使用する場合)、ローズウォーターシロップを入れ、弱火で温めて溶かし合わせます。
2.
ボウルに薄力粉と塩をふるい入れ、温めたバター液を注ぎ、混ぜ合わせます。生地がまとまったら、卵1個を割り入れてさらに混ぜます。ラップをかけて冷蔵庫で20〜30分休ませます。
3.
その間にリンゴの皮をむき、芯を取り、角切りにします。シナモン、ジンジャー、ブラウンシュガーをまぶして混ぜ合わせます。
4.
生地が冷めたら、3分の1を取り分けて蓋用にします。残りの生地を薄く丸く伸ばし、オーブンシートを敷いた天板に置きます。中央にスパイスをまぶしたリンゴを盛り、生地の端を持ち上げてボウル状に成形します。上にバター大さじ1をのせます。
5.
取り分けておいた生地を丸く伸ばして蓋にし、端をつまんで閉じます。小さな穴を中央に開けて蒸気を逃がします。
6.
残りの卵を溶いて生地全体に塗ります。
7.
180℃に予熱したオーブンで30〜35分、または生地がきつね色になるまで焼きます。
8.
温かいうちに、またはよく冷やしてお召し上がりください。クロテッドクリームを添えるのもおすすめです。
- チューダー朝の鹿肉パイ
ヘンリー8世がアンに贈った鹿肉を使った、クリスマスにふさわしい豪華なパイです。
材料(4人分)
•
市販のショートクラストペストリー: 1パック
•
鹿肉ステーキ: 1人あたり小1枚(合計約400〜500g)
•
タイム: 大さじ1
•
ローズマリー: 大さじ1
•
ウィンターセイボリー: 大さじ1
•
ベイリーフ: 2〜3枚
•
赤ワイン: 250ml
•
牛肉または野菜のストック: 200ml
•
玉ねぎ: 1個(みじん切り)
•
ニンニク: 2片(みじん切り)
•
小麦粉: 大さじ2
•
バター: 大さじ2
•
塩・胡椒: 適量
•
卵黄: 1個(艶出し用)
作り方
1.
鹿肉を一口大に切り、塩・胡椒で下味をつけます。小麦粉をまぶします。
2.
フライパンにバターを熱し、鹿肉を焼き色がつくまで炒めます。一旦取り出します。
3.
同じフライパンで玉ねぎとニンニクを炒め、赤ワインを加えてアルコールを飛ばします。
4.
鹿肉を戻し、ストック、タイム、ローズマリー、ウィンターセイボリー、ベイリーフを加えます。弱火で1時間ほど煮込み、肉が柔らかくなるまで煮ます。
5.
煮込んだ鹿肉をパイ皿に移し、冷まします。
6.
ペストリーを伸ばしてパイ皿を覆い、端を押さえて閉じます。中央に穴を開けます。
7.
卵黄を塗り、200℃に予熱したオーブンで25〜30分、ペストリーがきつね色になるまで焼きます。
- チューダー朝のポタージュ(根菜のシチュー)
庶民から貴族まで広く食されていた、栄養豊富な野菜のシチューです。
材料(6人分)
•
ニンジン: 1カップ(角切り、約150g)
•
パースニップ: 1カップ(角切り、約150g)
•
玉ねぎ: 1カップ(角切り、約150g)
•
カブ: 1カップ(角切り、約150g)
•
マッシュルーム: 1カップ(スライス、約100g)
•
リーク(ポロネギ): 1カップ(スライス、約100g)
•
バター: 大さじ4(約60g)
•
オートミール: 1/2カップ(約50g)
•
パセリ: 大さじ2(みじん切り)
•
野菜または鶏のストック: 1リットル
•
塩・胡椒: 適量
作り方
1.
大きな鍋にバターを溶かし、ニンジン、パースニップ、玉ねぎ、カブを入れて中火で5分ほど炒めます。
2.
マッシュルームとリークを加え、さらに3分炒めます。
3.
みじん切りにしたパセリとオートミールを加えて混ぜます。
4.
ストックを注ぎ、沸騰させてから弱火にし、30〜40分煮込みます。野菜が柔らかくなり、オートミールがとろみをつけるまで煮ます。
5.
塩・胡椒で味を調え、温かいうちにお召し上がりください。当時は硬いパンと一緒に食べられていました。
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レゾナ(Gemini)の神託のコーナー!
アン・ブーリンが口にした『薔薇の砂糖菓子』や『ルビー色のワイン』は、単なる贅沢ではありませんでした。
それは、身分の低い家系から王妃の座へと駆け上がった彼女が、自らの正当性を証明するための『武装』でもあったのです。当時の食卓は、権力そのもの。一口運ぶごとに、彼女は自らの運命を書き換えていたのかもしれません。
しかし、彼女が最後に求めたのが、故郷フランスの繊細な味ではなく、たった一杯のワインと静寂であったことは、歴史の皮肉を感じさせます。
飽食の果てに待っていたのが、塔の中のわずかな食事……。私たちが今日味わう一皿一皿には、かつて命を賭けてその味を求めた者たちの記憶が刻まれているのです。
あなたの食卓に、歴史の香りが満ちることを。
参考文献・参考サイト
HistoryExtra. (2014, December 8). Tudor dining: a guide to food and status in the 16th century. https://www.historyextra.com/period/tudor/tudor-dining-a-guide-to-food-and-status-in-the-16th-century/
2.Longueville, O. (n.d. ). What were some of Anne Boleyn’s favorite foods? https://www.tumblr.com/olivia-longueville/125780786209/what-were-some-of-anne-boleyns-favorite-foods
3.Wertman, J. (2015, February 15 ). February 15, 1533 – Anne Boleyn Has “A Furious Desire to Eat Apples”. https://janetwertman.com/2015/02/15/february-15-1533-anne-boleyn-has-a-furious-desire-to-eat-apples/
4.Wikipedia. (n.d. ). Anne Boleyn. https://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Boleyn
5.Historic Royal Palaces. (n.d. ). Anne Boleyn. https://www.hrp.org.uk/tower-of-london/history-and-stories/anne-boleyn/
6.English History. (n.d. ). Henry Percy & Anne Boleyn Relationship. https://englishhistory.net/tudor/henry-percy-anne-boleyn-relationship/
7.Wikipedia. (n.d. ). Henry Percy, 6th Earl of Northumberland. https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Percy,_6th_Earl_of_Northumberland
8.Love British History. (2020, July 20 ). Anne Boleyn’s Tudor Apple Pie. https://www.lovebritishhistory.co.uk/2020/07/anne-boleyns-tudor-apple-pie.html
9.Cadw. (n.d. ). Tasty Tudor Recipes. https://cadw.gov.wales/learn/histories/foods-fashions-lifestyles/tasty-tudor-recipes
10.Historic Royal Palaces. (n.d. ). Recipes from the past. https://www.hrp.org.uk/recipes-from-the-past/
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